株式会社丸江

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社史(20周年小冊子より)|創業期 昭和28年6月~昭和33年6月

1972年発行当社20周年記念小史より「創業期 昭和28年6月~昭和33年6月」。

創業から小田原充填工場開設まで

事業記録1頁

昭和28年6月1日、社長上京、嶋野享二氏とプロパンガス事業の打ち合わせを行う――丸江プロパン瓦斯株式会社の事業記録は、この一行の記述から始まっております。嶋野がプロパンガスを江島平八の許にもたらしてから、この事業化の発送が創業者の胸に固定するまでには、ある程度の時間と経庭があったことには違いないが、とにかく創業の用意第一歩をこの簡潔な表現をもって印した当社は、越えて6月11日を事業開始第1日とし、創業者の私宅の一部を取りあえず仮の営業所として門口に合資会社丸江商会の標札を掲げると共に、宅地の一隅を賃借して独立事務所の新築にかかり、一方帝石秋田鉱業所の八橋油田の視察、プロパン販売事業に1日の長を持つ東北地方の商況と現場施設の調査等を行う傍ら、帝国石油の第一次店である帝国プロパン株式会社との間に商品ガス仕入れルートの直結、直送の手段、取引の条件、価格の設定等の基本条項につき交渉を重ねつつ、この間8月10日には落成を見た新事務所への移転、9月30日には第一次増資による資本金100万円の登記を完了する等、事業の体型漸く整うを待って12月15日合資会社丸江商会の事業一切を継承した丸江プロパン瓦斯株式会社を発足させました。その事業内容ならびに役員の陣容は次の通りであり、現業と事務担当者の従業員は5名でありました。

事業の目的

  1. プロパンガスならびに付属器具の販売および工事
  2. 右に付帯する一切の業務

役員

代表取締役社長
江島平八商店を株式会社に改組
専務取締役
嶋野 享二
取締役総務部長
江島 泰
取締役営業部長
吉田 健二
監査役
原 角蔵
監査役
二見 盛治

この日当然の約束ながら帝石秋田鉱業所から、待望の直送第一便45Kg入り100本が入荷しました。当時の輸送事情は45K入り容器を鉄道貨車積みとし、秋田駅から羽越線経由で大宮または鶴見操車場扱いで、遠路はるばる小田原駅入りしたものを、日通が馬力でごとくりごとくりと運んだものでした。今日のGNPの大翼の下に長足の進歩を遂げたガス業界を顧れば、おとぎ話そのままの茶番劇としか考えようがありませんが、それでも「天下の日通」が馬糞をまき散らしながら運搬してきた100本の容器を、感激の目で迎えた当社の喜びの大きさは「入荷万歳」の文字を事業記録に残していることで推測できます。

快調を辿る普及テンポ

明けて昭和29年2月6日、市内中央公民館において、事業披露ならびに商品展示会を開き、神奈川県知事、小田原市長、県商工会議連合会、地元参議院議員、県・市議会議員、各官公署、商工会議所、商工業経営者等関係方面の招待者約百数十名を迎えて盛大を極めたことは、前項に一部記載しましたが、当時の展示商品は家庭用品としてプロパン・ストーブ・ガスレンジ・ガステーブル・ガスコンロ・すき焼きコンロ・菓子焼き器、ガス灯、工業用品として溶断機(浜井製手動円弧用)同じく(浜井製手動直線用)溶断した鉄見本、付属品として調圧器(MSK式、NK式、ミスジ式、秋田精密式、望月式)タンク直結用器具、コック各種、実験用分線バ-ナ-等、啓蒙期の当時にあっていずれも第一級の実用品ならびに試作品数十点でありました。

因みに当社はこの8年間にプロパンガスの先進国アメリカのフィッシャ-社から、同社製品の調圧器500個を直接輸入して、それの分解研究を始めましたところ、噂を聞いた関西、東海をはじめとする遠近の業者から、直接訪問や分譲依頼による照会が相次ぎ、わが国LPガス調圧器の歴史に何分かの貢献をなし得たと自負しております。

期末には増資を行って資本金を300万円とし、3月31日をもって黎明期の事業第1期を送って希望に溢れる第2期を迎え、4月には社屋の増築もほぼ落成して事務所は創立時の2倍半となり、倉庫も拡張し、充填装置も整備して営業の面目はやや改まりました。

昭和28年創業当時の風景神奈川県は当時全国でも他にくらべて普及の密度が高かったたので、プロパンガス取り扱い業者20数社が集まり、横浜市で神奈川県プロパンガス事業協議会を結成するに至り、当社の専務嶋野は初代会長に選ばれました。
ガスの仕入れルートを帝石に直結することは、飛躍途上にある当社にとり必須の条件であるので、昨年来仕入先の帝国プロパン、元売りの帝国石油と当社との間に度々交渉の曲折を繰り返して来ましたところ、関係方面との了解が完全に成立し、8月1日をもって帝石特約代理店として当社は独立発足することになりました。この時点における当社の副代理店、取り扱い店の分布は次の通りでありました。

代理店
修善寺、三島(二店)、熱海、綱代、下田、清水、吉原、富士宮、御殿場(小山地区を含む)、沼津
取扱店
元箱根、町田(東京)、佐野(栃木)、静岡、浜松、名古屋

10月31日、当月の販売量は、かねて第一次目標とした30トンを突破しました。この時の販売実績は次の数字が語ります。

本社直売
14トン361.5瓩
副代理店卸売
16トン395瓩
合計
30トン756.5瓩

この前後に業界のさる月刊誌が、「丸江プロパン瓦斯では、この頃神奈川県西部一帯にプロパンガスを普及し、創立日浅きにかかわらず…小田原、熱海、湯河原その他に文明燃料として親しまれ…消費者が増加する一方」と驚きの報告を行っているのは面白いと思います。

11月に入り神奈川県プロパンガス事業協同組合が創立せられ、理事長に当社の専務嶋野が、また理事として常務吉田が選任せられました。

社運成長の歩み急

かねてプロパンガスの生産を企画し、販売会社たる日本石油瓦斯株式会社の設立を進めていた日石は、全国数十店におよぶ特約店希望者の中から、昭和30年1月 19日創立事務所において厳選の結果、当社を含む六社を決定し、2月1日日本石油瓦斯株式会社設立総会と同時に正式発足しましたが、それは丸江プロパン瓦斯㈱、帝国プロパン㈱、新日本プロパン㈱、東京石油瓦斯㈱、日新商事㈱、矢野商店でありまして、当社は2月21日品川駅渡しによる<45瓩30本(1トン350瓩)の日本石油瓦斯の初出荷を湧き上がる感慨をもって受けたのでありました。

昭和32年日本石油の宣伝カーこの年次におけるわが国のプロパンガス市場は、量的発展と販売業者急増の時期でありまして、これを補う十分な生産量は既設メーターの現存施設になお多くの余裕を残している上に、石油化学の振興策推進と相まって近く将来に活動を予定せられる新メーカーの気配と、最近急激に高まりつつあるプロパンガスの認識と需要等を総合すれば、いよいよこの事業の国内企業としての本格化と堅実性に向かって基礎正に整ったの感がある反面、この趨勢に伴う一時的便乗主義や営利主義の氾濫は避けられず、業者間の相互販売地域浸犯、弱小販売業者の出血戦術による競争等、若干市場混乱の兆しも現れ始めました。

こうした情勢の裡に当社は、開拓の先達として、前例なきこの業界への研究を怠らない反面、この地区の市場混乱を防いでこの事業の健全な発展を期するための配給センターたらんとする抱負をもって、充填基地を建設する敷地の取得に着手したのでありますが、高圧ガス取締法の規制する法定の条件に合致する適地を発見するのには慎重を期する必要あることに鑑み、それまでの応急策として取りあえず市内久野の一角に市立病院建設予定地として小田原市の所有していた土地の一隅を、短期借用の契約を強引に押し進めて賃借し、ここに仮充填所の施設を急いで6月13日運転を開始したのであります。(この短期借用契約のために後段に記述する充填工場取得の渋滞に苦しんで返還が延び、当社と小田原市との間に、息苦しい対立が続いたことも、今ではほろ苦い回想となりました。)

8月に第三次増資を完了して資本金500万円とし経営内容の充実を図り、また随時に市内または近郊に商品展示会を開催、ダイレクト・メールとしてのサービス通信の発行等によって需要開拓のPRに努め、全社一丸正に旺盛なフロンディア精神の下に拡販につとめた実績伸長は、中央業界をして目を見はらせ「小田原に丸江あり」の印象を強く焼き付けさせるものがありましたが、拡販に応ずる充填設備の充実が要求する工場敷地獲得が難澁を極めて、なかなか進展しないのは、まことに天を仰いで長大息するに価しました。

難渋を極めた原因の第一は、法廷の保安距離を含めた最低約2000平方米の空地が、当時としても発見に困難だったこと、たとえあったとしても養護施設の近在、近隣承認の得られない等のために妥結に至らないこと、第二は一人の所有者が当方の求める空地を持っていないので、複数の所有者を相手とする買収の交渉がなかなか条件の一致をみないこと、しかも輸送や販売の立地条件に不備なこと、第三は今から思えば隔世の感といわざるを得ないのでありますが、プロパンガスを一途に危険物と考える認識不足のために、近隣地区一帯の住民の強硬な結束による工場設備反対運動、その他農地法にからむ種々な行きがかり等々で、折角見出した候補地が不調に終わったこと一再に止まらぬ有様でした。

以上のように曲折を繰り返しつつ一年半にわたる彷徨の結果、昭和32年の年末も押しつまった11月に至り漸く好転の兆しを示し、市内井細田(現在地名扇町)に約 2000平方米余の農地買い入れに成功し、年内に登記を完了、直ちに道路との高低差二メートルの水田を埋め立てて翌33年2月1日充填工場建物ならびに施設の第一期建設工場を開始、これを転機とする飛躍に備え5月第四次増資を行って資本金を800万円としました。話は前後しますが、第三次増資以後当社の株式を公開とし、小田原商工会議所会頭、小田原ロータリークラブ会長の職にあった創立者江島は、広くこの両会員に参加を呼びかけた結果商工界の有力者は欣然とこれに応じて、忽ち70名の株主を擁するに至り、これが従来のこのガスに対する世間の認識不足を是正し、爾後のこの企業の進展に大きくプラスする動力の一端としての一役を買ったことは否めません。

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