株式会社丸江

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社史(20周年小冊子より)

1972年発行当社20周年記念小史より「創業の背景」。

創業の背景

戦後を照らした希望の灯

昭和36年トラックの看板には「文化と安全の合い言葉プロパンガスを使いましょう」

昭和36年トラックの看板には「文化と安全の合い言葉プロパンガスを使いましょう」

昭和29年(1954)2月6日は、立春の明るい兆しを感じさせる、温かな土曜日でありました。この日午後2時、丸江プロパン瓦斯株式会社は、小田原市幸町(現在の地名本町)の市公民館(現在の市民会館の位置)に、特別ならびに一般の招待者百数十名を迎えて、当時まだ世間の認識にのぼること浅かった液化石油ガス「プロパン」の紹介と、開発の緒についたばかりで性能も形態も幼稚の域を脱しないながら、家庭用・工業用プロパンガス機器数十点を揃えて展示を行ったのでありましたが、これは第二次大戦による荒廃の極から漸く戦後ではなくなったという国民的自覚の上に立ちあがりかけていた、この地方商工都市小田原の産業経済界に、新しい時代を呼びさます希望の灯を点じて見せたことになり、同時に全国プロパンガス業界の草創期において、早くも保守伝統の西湘城下町に、丸江プロパンが高々と揚げた初陣の狼火でありました。

北条早雲の関東制覇と後北条氏の戦国興亡の100年、徳川幕府直参の 権威を誇った藩都260年を通じて、絢爛と開いた小田原文化の花を背景に、寛文の創業以来300年の茶・紙の老舗第15代の店主江島平八が、伝承の家業の 傍ら、勇猛な決意をもって時代の新商品「プロパンガス」販売に命運を托し、この事業を創業したのは、この日の披露展示会を遡る8ヶ月の昭和28年6月11 日でありまして、この開業積は日に月に挙って社礎漸く成り、前途の飛躍発展十分を確信せられるにおよんで、今後の活動に備えて地区有力者に一段の認識を与 え、しかもこの事業が多分に公益性を持つ文化事業であることを強調しようとして、この会を開催したのでありました。この間の経緯と、この事業に打ちこむ創 立者の烈々たる決意と信念とを、披露会席上の社長挨拶に聞きましょう。

まだ知られていないプロパンガス

昭和29年プロパンガス普及のための展示会

昭和29年プロパンガス普及のための展示会

『本日ここに丸江プロパン瓦斯株式会社の事業の、披露・展示会を開催し、各位をご招待申し上げましたところ、ご多忙の際にもかかわらず、県下各方面ならびに伊豆地方よりも多数のご光来をいただきまして、まことにありがたく厚く御礼を申し上げます。

もとより当社は民間の一私業に過ぎず、今日の催しも、いわば営業宣伝 の一事を超えたものではありませんので、したがって本日神奈川県知事(内山岩太郎氏)殿はじめ、参議院・県議会の議員の方々、小田原市長(鈴木十郎氏)殿 その他各官公署の代表、経済界ほか各方面のご歴々をお招きいたすことは、甚だおこがましい次第なのでありますが、追って申し上げたいと存じます通り、この 事業は公益性を持ち、且つわが日本に極めて新しく現れまして、前途限りない発展性を有するものでありながら、皆さまのあまりご存じない事業でありますた め、この際一層のご認識をいただく必要と、ご推奨の確信とを抱きましたので、今日の催しをいたした次第であります。

プロパンガスは石油油田より 自然に副生し、あるいは石油精製の際に生ずるプロパンを主体としブタン等を含んだ液化石油ガスでありましてこの歴史は世界でもあまり古くなく、欧米におい ても2・30年この方でありますが、最近はアメリカ、イタリーなどで、都市ガスを凌ぐ大変な勢いで拡まっており、その純良度の高いものは、石油化学工業製 品として大いに前途を嘱望せられているのであります。わが国でこれが採り上げられたのは極く近年のことで、戦後ガソリン代用として自動車に一部の地方で使 用されて居りましたが、家庭燃料としては、1・2年この方ガス圧を調整する器具が工夫せられるにおよび、漸く昨年より国内の市販に出しましたところ、幾多 のすぐれた特長のために非常な好評を受け、次第に各地に拡まりつつある実状であります。

その特長ないし使用の方法に つきましては、先刻来展示会場で断片的にはご紹介いたしましたし、なお後刻当社の嶋野専務より詳しくお話し申し上げますので、私としてはこれを省略いたし ますが、各種事業場に、工場に、また家庭において、炊事・暖房・灯火、さらに実験用・工業用として多岐多様な用途をもって、正に燃料界の革命児と申して差 し支えないと信じております。

種は小田原にこうしてまかれた

私がこのガスの販売を事業として引き受けた事情は、親戚の嶋野専務が戦時中理化学統制会の理事、日本理化学工業株式会社の重役、カーバイド統制会の会長をいたしており、目下も高圧瓦斯協会に関係を持っておりますために、昨年夏いち早くもこのガスを私のところにもたらしましたので、6月頃に宮の下・強羅の旅館の方の、その後ひきつづき湯河原の方々にご覧に入れましたところ、大へんなご好評と深いご関心で、ぜひやれ、よしやってみようというところから始まりました片手間の仕事が、今では大きな事業となり、幸い親会社の帝国プロパン株式会社、また生産元の帝国石油株式会社の格段なご支援によりまして予想外な発展を招き、東は平塚より山北・松田・箱根・湯河原、西は三島・修善寺におよぶ相模川以西伊豆までを市場に収め、直接販売の需要者500軒、卸し販売の特約代理店十数店を擁して営業いたして居る次第でありますが、まだ一般的には広く知られておりませんために市場にも狭く、価格の点も正直に申し上げて取りあえずは都市ガスよりやや高いのであります。しかし将来より多数のご需用者を得ますならば、一段とコストを下げ、お安くご使用いただけるようにいたす所存でございます。

私はこの事業を通じ日頃抱懐する希望と信念とを実現してみたいと存じでおります。甚だ微力ではありますが、私は戦前・戦中・戦後にわたり当地経済界のお世話役をつとめますこと20年(神奈川県商工経済会小田原支部長・小田原商工会議所会頭・神奈川県茶商組合連合会々長その他)その間常に商工道義の昂場と共栄商道とを念願といたしまして、ために土産品包装上底廃止運動、時間励行の奨め等もその一端でありますが、戦後殊に著るしい道義の頽廃には、忍ぶあたわざる憤懣を抱いております。もちろん生業である限り採算をはずし、経営を度外視することはできませんが、労資の関係は協調というより更に進んで一体でなくてはならないと信じますし、またこの事業のお得意様は、他の商売とちがい、一旦関係が生じますと永く断ち切れない取引となりますので、顧客は当社の会員と考え、奉仕の精神をもって便利をはかるのはもちろん、価格も前段申し上げました通り、今後できるだけ引き下げて行きたいと存じます。

なお重要なことは、この燃料すなわち石油発掘の際に副生する国産資源プロパンを、生活文化および輕工業に完全に利用することにより、電気・石炭・石油等の使用は、これを国家重要産業の方面に向けますならば、燃料国策に大きく寄与するのみならず、薪炭の節約を来し森林の濫伐を防ぐことになり、ために水害日本の災厄を幾分でも除去することによって、大きな公益事業と称し得て、しかも同胞の文化生活水準を高め家庭の明朗化を期待し得るので、これこそ真に私の念願とする事業であると信ずる次第であります。今日お集まりをいただきました各位は、真に県下および近県各方面の有力な方々ばかりでありまして、皆さまの深いご認識とご後援とをいただきますならば、更に一段の飛躍誤りなしと確信いたします。』(社長 江島平八)

未開拓の昿野は荊刺に満ちていた

この挨拶の言葉に盛られた創業者の並ならぬ開拓精神は、爾来一貫して当社の経営理念となって、営業の基盤を成しているのでありますが、敗戦の壊滅から世を挙げて物質の勝利に走り、滔々として道義の頽廃を招きつつあった当時の時点において、プロパンの販売をもって救世の企業たらしめようと念願した発想は、異とすべく、壮とすべきものでありました。昭和27年夏、東北の一都市に、それもタクシーやバスの自動車代燃として、ほそぼそとプロパン販売に手を染めた一業者をして『おっかなびっくり』苦難の連続で『冷汗三斗』と回顧せしめた当時の業界、また後年帝石取締役高橋元雄氏が、『圧力下では液体、常圧では気体であり、その名はむずかしい「プロパン」というものを、あまり化学知識の高くない一般大衆に普及せしめた創業時代の人々に敬意』と披瀝した当時の社会が、いかに荊棘に満ちた未開拓の曠野であったかを、前記の創業者江島平八の挨拶につづく専務取締役嶋野亨二の報告講演から、のぞいてみましょう。

『最近脚光を浴びて出現いたしましたプロパンガスは、ガスとしては必ずしも新らしいものではありません。第二次欧州大戦前、(昭和4年)ドイツのツェッペリン飛行船が米国訪問の途次わが国の霞が浦飛行場で水素ガスと燃料ガスを補給しましたが、この燃料ガスがプロパンガスでありました。当時新聞では、パラフィンの一種でプラウガスというものだと報じておりましたから、ご記憶の方もあると存じます。何故にガソリンを使用せずにプロパンガスを使用したかは説明がなかったのでわかりませんが、おそらくは水素を入れた飛行船にガソリンを使用することは危険があると恐れたのか、搭載重量の関係からか、あるいは両方の点からプロパンが有利であると考えたかと思われます。また米国内でこのガスを使用し始めたのは約30年くらい前からだと聞いており、米国の雑誌によると、1926年(大正15年)1 か年の使用量46万5000ガロン、1937年(昭和12年)には1億4000ガロン(約326万トン)すなわち11年間に約30倍強の増加であります。そして現在においても毎年10,000トン内外増加しているそうでありますから、このガスがいかに一般に普及しているかがわかります。

第二次世界大戦中、わが国においては、ガソリンの不足からいろいろなものが使用せられました中に、メタンガスもプロパンガスも使用せられ、生産地の新潟では盛んにバスに利用し、一時は東京にボンベを送ったという話までありました。終戦後ガソリンが輸入せられるにつれ代用燃料も漸次姿を消し、メタンは一般家庭の燃料に、またプロパンはそのまま生産地附近のバスに使用せられておりました。然るところ一昨年暮れ頃から、電力ききん、石炭不足による都市ガスの不足となり、一部の人がプロパンをガスコンロに使用することを試みましたが、プロパンガスの性質を知らないために、火は赤くて弱いし、鍋の底は黒くなるというわけで、あまり使われませんでした。しかし燃料はいよいよ不足を告げ、またプロパンの性能もおいおいわかって来ましたので、工夫の結果、ガスの出る孔を粘土で塗りつぶし針で孔をあけて使用しはじめました。その後都市ガスよりも6・7倍空気を混合することがよいこともわかり、ノッズル(あるいはバーナー・コック)の孔径をこれに適合するように加工して、昨年すなわち昭和28年2月頃から、ぼつぼつこのガスの需用が起ってまいりました。一方工業用においても、酸素アセチレンの焔による鉄板の切断よりも、酸素プロパンを使用した方が切り口もよく経済的でもあることを知り、これに適合する器具を作り造船会社方面に非常な需用を得ております。また石油精製用、溶剤用等に大きな用途がありますが、これについては専門家の帝国石油さんのご説明を願うことにして省略いたします。

実験は箱根・湯河原から

ご当地にプロパンガスを持ちこみましたのは、昨年6月、友人の帝国プロパン株式会社会長浜井正氏のすすめで、最初はボンベ1本だけ送っていただき、箱根宮の下・強羅で皆さまに実験してご覧に入れました。プロパンガスは非常にカロリーの高いものですから、都市ガスで15分くらいで沸く水が12分くらいで十分ですので、この実験を見られた方々はこのガスの便利さを十分に認識されました。余談にわたりますが、強羅の石倉さんのところで、組合の方々のお集まりの席上ご覧を願いましたとき、7 分ほどで沸いてしまいましたから、説明以上に沸き方のの早いのに皆さまは大いに驚かれ、私どもも非常に不思議に思いましたところ、女中さんが薬缶だからと気をきかしてお湯を入れて持参したことがわかり苦笑いしたようなナンセンスもありまして、おかげでたちまち十数軒の方々からご注文をいただき、この事業のきっかけとなったのであります。

当時使用のボンベは1本 17.8貫(約70キロ)ありますので、持ちこむのにも大へんでしたし、調圧器にしてもバーナー・コックにしてもひどく不完全であり、かつ私どもの扱い方も不手際でありましたが、ただ今では非常に進歩いたしまして、10キロ入りボンベなどはご婦人でも持ち運びができるようになりました。必要は発明の母とか申します例を電球にとりましても、石油ランプからカーボン電球に代ったときは、8畳間に10燈光くらいで相当高い電気料金を支払わされたものでした。このカーボン電球がタングステン電球、空気入り、アルゴン入りと幾度か進歩し、座敷には100燈光、200燈光を使用する時代になりましたが、しかしこれとても電気を全部光にすることができず、熱が相当損失になります。最近は熱のない、電力も経済的な蛍光灯ができましたが、価格と色の点で一般的ではありません。プロパンとてもご多聞にもれず、まだまだ改良すべき点が多いのであります。到底欧米のような能率のよい器具もありませんし、取扱いも不慣れです。最近の米国の器具は、ボタンを押すとサーモスタットに熱が加わりべんが開いてガスが出るというような立派なものが出ているそうですが、わが国ではねじをあけてマッチで火をつける程度のもので、しかもコックの所から漏れやすいし燃料も完全ではありません。永年の経験を持つ都市ガスでさえ、この程度でありますから、7・8ケ月の経験しかないプロパンではいたし方ないなどとは申しておられません。今少し時間をお貸し願います。

こんなに便利です。

さて現状は以上のように未完成なものではありましても、他の燃料と比較すれば断然頭角をあらわしているのであります。例として他の商品を申し上げるのは恐縮ですが、石油コンロは冬の寒いときはストーブ兼用で便利ではあっても、夏は暑くてやりきれませんし、煮こぼれの場合は危険があります。プロパンにはこの心配はありません.燃料としては現在のところ都市ガスにおよぶものはありませんが、価格の点を除けば、一長一短はあってもプロパンはこれと大差ありません。しかも都市ガスは将来値上りの傾向にあり、プロパンガスは値下りの見透しにあり、加えるに使用器具完成の暁には消費ガス量も節約でき、最も経済的な燃料となりましょう。

この点を詳しく申し上げますと、都市ガスはこれ以上需要が増加しますと設備を拡張せねばなりません。したがって資本が急増しますから現状の価格では引合わなくなります。最近の電気料値上げ問題はそのよい例でありますし、また原料の石炭とても高くはなっても安くなることはありませんから、これも値上りの原因になります。これに反してプロパンは、現在わが国の需要が米国とは比較にならない程僅少で、年額わずか700~800トンに過ぎませんが、目下急ピッチで伸びておりますので将来の値下がりは必至であります。大体都市ガスの経済単位は一千軒ということでありますが、プロパンも大体この辺に目安をおいてよいかと考えますから、そうすれば諸経費・運賃にしても当然割安となります。当社は創業以来日なお浅く、やっと採算目標の二、三分の一程度で、残念ながらまだ値下げの域には達しません。鋭意努力の最中でありますが幸いにして皆さまのご支援をいただいて、一日も早くその時期に達したいのであります。

以上申し上げました通り、プロパンガスはまことに便利重宝な燃料でありますのに、何故にもっと早く一般に普及しなかったのか、実に不思議と申さねばなりません。実は私も大正7年から高圧ガスに関係しておりますが、このプロパンガスの名前は承知しながら関心は持っておりませんでした。またガス・メーカーの帝石さんでさえ最近まで問題にされなかったようです。昨年の7月頃、私どもの方から帝石社長(田代氏)の湯河原の別荘に持ちこみおすすめしたときに、こんな便利なものは何処でできるのかというご質問で、帝石ですとお答えしたところ、やあそれは私の会社だと驚かれ、早速東京のご自宅にご設置になったということで、紺屋の白袴を地で行った形でした。それかあらぬか現在湯河原温泉郷はわが国で第一のプロパンガス消費地であります。

少しもこわくない

このようなわけで、メーカー自体も無関心であったのですから、一般人が知らなかったのも無理ではありません。しかし一方会社でこのガスの利点を認識せられるや、日々の需要増加は急激な勢いとなりましたので、今度はボンベも間にあわねば減圧器も追いつけません。やっと最近やや間にあって来ましたからご不自由をかけることはないと存じます。こうして広く普及してまいりますと、一番大切なことは、如何にして災害を防止するかということで、県ご当局からもいろいろご親切なご指示をいただいておりますが、使用する方々には、適切な使用方法と防災方法を業者から指導を徹底し、十分注意していただくことが最も肝要かと存じます。燃えるガスはプロパンのほかに水素・メタン・アセチレン・都市ガス等で、この中メタン・都市ガスおよびプロパンガスが家庭に使用せられております。プロパンはメタンよりも低圧でありますし、都市ガスのように毒性もありませんが、洩れやすいことと、ガスが重いという欠点があります。しかしこの欠点に対し適当な対応策を講ずれば危険はないのであります。防止方法は。

  1. 取扱い方をよく知っていること
  2. 洩れない器具を使うこと
  3. 注意の上にも注意すること

でありまして、注意力は慣れるほど薄くなりがちなものでありますので、私どもがわづらわしいくらいにくどく申し上げるのは、災害防止に要点があるのでありますから、よろしくご協力の上、末永くご愛用をお願い申し上げます。』 (専務取締役 嶋野亨二)

以上二つの講演を、あえてこの社史の巻頭に披露しましたのは、当社創業の背景をなす当時のプロパンガス業界が、黎明を告げるのも気恥ずかしいほどの暗黒と混沌との中を漂う状態にあったときに、首都圏をやや遠くはずれた西湘の商工文化都市において、如何にしてこのガスの企業化が実現するに至ったか、また当社の経営理念が何処に芽生えたかを、後年機会あって創業者江島が業界紙に寄せた次の言葉と共に生々しく私たちの記憶に刻みつけておきたいからなのであります。

『プロパン黎明期の薄闇の中に暗中模索的にこの事業に手を染めて以来、先達なき孤独の悲哀と、前例なき新事業に対する社会の冷視と闘かいつつ血と汗との幾山河を越え来たった足跡を静かに振り返りながら、自ら抱くに至ったプロパンガス業者としての私の信念・・・・・・・・・。』

丸江 コンタクトセンター

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